やるだけやりたい黒の時代考 まえがき

黒の時代はいいぞ

 

 

 文豪ストレイドッグスという漫画について、正直に申し上げて私はあまり好きではなかった。それどころか親しい友人と批判までしていた。理由としては私が文豪好きだったからである。その手の研究をしているわけではないので一般常識レベルだが、それでも文豪やら作家やらへの愛情はあった。好きな作家は安部公房だ、夢野久作だ、江戸川乱歩だ、ああ、サンテクジュペリだ、アレクサンドルデュマだ、現代作家ならば冲方丁だ、伊坂幸太郎だ、そういえば東野圭吾の手紙で泣いたことが懐かしい思い出だ、赤と黒はいいぞ、罪と罰は読めばキレそうになったぞ、とにかくとにかく、そこそこ本は読んでいた。だから最初は文豪ストレイドッグスのオリジナリティ溢れる文豪の姿に嫌気がさした。だから無理だと思った。だがそれは悪いことではないし、極度に貶めない限り作品について語ることはなんら問題ない。これもまた正しい消費者、読者の姿である。さらに言うとごく親しい友人間でのみのことだったので、 悪評を周囲に撒き散らしていたわけではないしネットでも過剰に叩いていたわけではない。そのことを了承していただきたい。

 

 そんな私が文豪ストレイドッグスにここまで入れ込んでしまったのは「黒の時代」を読んだからである。もちろん漫画は漫画で全部読めばなかなか面白かったのだが(人間の承認欲求、生きる価値やらそういう哲学的なテーマが見え隠れしていたから)、小説はことさら面白かった。一言で言えばハードボイルド。小説3巻はコミカルな面が多かったが、小説1巻2巻はハードボイルドだった。

 漫画本編で描かれなかった過去が小説にはある。漫画作品の小説版といえば、どちらかというと番外編やスピンオフ的な扱いが多い。例を挙げるなら鋼の錬金術師でも小説のスピンオフは幾つかある。私もハガレンの熱い読者なので小説も全部読んだが、本軸で描かれなかったストーリーを描いており、いわゆるこぼれ話的なものとして存在している。小説版を読まなくても本編のストーリーを把握する上ではなんら支障はない。小説のキャラが漫画で出てくることもないし匂わせるような描写もなかったはずである。漫画は漫画で、小説は小説で完成していた素晴らしい作品であった。

 だが文豪ストレイドッグスに関しては小説はもはや番外編やスピンオフなどではなく、本編の一部として取り扱っても間違いはないだろう。なぜなら、「本編を完全に把握するためには小説を読まないと支障が出る」からである。これは私の見解である。もちろんそうじゃない読者も多くいるはずだ。だが小説を読むと文豪ストレイドッグスの世界観に深みが増すのは間違いない。

 

 おそらく黒の時代の概要をよく知らないという方はこのブログを読んでないことかと思う。ので、このブログは黒の時代のネタバレに配慮はしないつもりである。そして黒の時代の概要についても省略させていただく。今更書いたって不毛である。

 

 とりわけ黒の時代は、文豪ストレイドッグスを語る上では外せないはずだ。漫画本編では太宰が準主役として出てくるのだが、この太宰、本編では全くと言っていいほど自分を語らない。どんな考えがあってどんな思いがあって死にたがっているのか、行動原理が何なのか、他のキャラが夢や理想や思いの丈をどストレートに語ってくれるのに、準主役の太宰だけ、殆ど分からない。アンノウンでアノニマスな「なんかよく分からないけどクソ有能だしイケメン、いつも眼福やで、ありがとな」という印象しか持てない。もはや何なんだよお前。

 その印象が覆されるのが、かの「黒の時代」である。黒の時代には太宰の思いや太宰の行動原理が分かる。ちらと、死にたがりの理由も判明する。その理由を知ると、太宰に対して「お前何なんだ?」というイメージから一転して「可哀想な人物なんだなあ」という愛情やら慈悲やらの気持ちが湧いてくる。

 

 まだ黒の時代を読んでない文豪ストレイドッグスのファンの方は是非読んでほしい。特に太宰が好きならば是非。もはや必修科目である、と声高に叫びたい。だってこの話、本来なら過去編として漫画本編でやるべきな重要な話だろう。なぜ小説にした。いや、漫画本編でやるとしてもタイミングが分からないから小説版にしたのかもしれないけれど。漫画本編のエスカレーターでしか文豪ストレイドッグスを楽しまない読者だっているはずだ。悔しい。非常に惜しい。

 

 長いまえがきになってしまったが、時間があれば、あと需要があれば黒の時代考察をやるだけやりたい。「やるだけやりたい」とは、ガチガチに研究をしたい、物凄く整理された考察をしたい、というわけではない。そっくりそのまま「思ったことを書き、思ったことを徒然なるままに書きたい」という意味であるので、まともな考察になるとは思わないしできるとは思わない。まともな考察なら他に頭のいい方がやってくださるはずなので(やってください!!!!!後生ですから!!!!!)、私は私なりでやらせていただこうかなと思っている。